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『ローマの休日』を観た。「某国の王女」のナチュラルさのはなし

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誰でも知っているのだろうが、ついぞ観たことのない映画というのはたくさんあって、その中ひとつが『ローマの休日』だった。知っているのは、真実の口とベスパが出てくるということのみである。

1953年の映画、第二次世界大戦が終結してから10年も経たない頃の作品である。しかし、古いがゆえに違和感を感じて現れる冷めた気持ちが現れることもなく、アン王女の成長物語にふつうに涙していた。名作と言われるものには名作たるゆえんがあるのだな、と思う。

いろいろ書きたいことはあれど、特にすごいなあと思ったことは「ヨーロッパ某国の王女」という設定になんの違和感も感じなかったということである。架空の「国」という表現はうまくやらないと違和感になってしまうと思うのだが、それがなかった。塩梅というかさじ加減というか出てくるもののバランスが全部ちょうどいい感じ。説明しすぎず説明不足でもないのだ。

「国」を示す表現として唯一直接的だったのは、1カットアップで映る飛行機についていた紋章だが、これも「ああ、本国から到着したのね」と思わせるのみである。彼女が王女として現れるのは、パーティ・寝室・記者会見であるがそういった舞台が狭すぎず広すぎず、嘘っぽくもなく、平民の想像の範囲内の装飾であるところもまたちょうどいいのだろう。

そういった多くのちょうどよさのなかにいる、オードリー・ヘップバーンの抜群の愛らしさは「彼女が王女です」と示されたら「はい!」としか言いようがないし、衣装、髪型、佇まい、表情、それらを複合した存在としての説得力もまたあった。