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ドラクエ6 をやっていた

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ストーリーがどんなだったか思い出せなくなってきた頃合いだったので久しぶりにプレイ。多分、最後までやったのは20年以上ぶり。

20年前はSFでしたが、今回はDSでやりました。

もうネタバレを気にする必要もないだろうから、配慮なしに書いていく。

※ この記事は、これはこういう解釈に違いない!!というようなものではなく、いろいろ想像してみたから読んでみて。という遊戯です。

ふつうにエグくてびっくりした話

子供の頃プレイしたときはなにも思わなかった or 気づかなかったが、大人になってやると「エグぅ」って思ったやつ選。

夢と現実の行き来 → 分析心理学的世界??

ドラクエ6 は初めてリアルタイムでやったドラクエで、当時小学生だった私には気づく余地もなかったが、大人になって再プレイして思ったのは「分析心理学っぽいな」ということだった。

時系列通りに筋を書くと、主人公はレイドックの王子。父親のレイドック王がムドー討伐に出かけたきり行方不明となり、その捜索に向かった結果、ムドーにより肉体と精神を分離させられてしまい、肉体側も精神側も記憶喪失となり、精神側の目線で自身の肉体を探す旅、そして次第に存在が明らかになる大魔王を倒し、真の平和を取り戻すために決戦へと挑む。

というようなお話。

まず、夢というモチーフが、まんまそれ。という感じ。意識と無意識の世界を行き来して、本来の自分を取り戻す……「成長」する物語(現実のレイドック王子はランドにいちゃもんをつけられたり、融合することを拒んだり、口調が弱々しい)。 この世界をまるごと見ているプレイヤーの成長物語という見方もできるけど、ただでさえこの文章は冗長なのでそれは考えない。

私は実際に読んだことないので、河合隼雄の『こころの読書教室』(新潮文庫 2014年)から引くが、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』という作品がある。

主人公のトムは、知り合いの家に預けられることとなるが、何も面白いことがない。ある日寝ていたら大時計が13回鳴る。トムが時計を見に行くと、存在しなかったドアがあり、そのドアを開けるとすごい庭がある。しかし、次の日の朝起きて見に行くと、扉も庭もない。次の日も13回時計が鳴る。また扉があり庭がある。庭でハティという女の子に会うのだけれど、物語が進むにつれ、ハティは成長していき、二人はその世界で色んな体験をするのだけれど、トムが経験したそれらの出来事はすべてお世話になっている家の家主であるバーソロミューというおばさんの夢であった。おばあさんの夢の中に入ってきたのがトムで、その女性の夢の中でトムは成長していた。というお話だそうです。

河合隼雄は13回時計が鳴ることを「違う時間に入った」と言っており、扉そして庭の存在を「心の扉が開いて、違う世界、"それ”の世界に入ったわけです。」(承前 p.52)と言っている。

であるから、「夢」というのは心の中の世界なのではないか。と思いなからプレイしていたわけです。

主人公

現実世界の主人公は、父親を探すためにハッサンとミレーユと旅立った後、大魔王の手下であったムドーによって肉体と精神を分離させられ、気がつけば現実世界側のレイドックで倒れているところを、ターニアに拾われ、一緒に暮らしている。

一方、夢の世界の主人公は、村の祭りでの精霊からの啓示で「本来の自分」がいることを示唆され、旅立つことになる。

ここでこねくりまわして捉えてみると、ムドーという「強大な力」に打ち負かされた主人公の「挫折」は、肉体と精神の分離という表現で表されていると読める。ストレスフル、という感じ。

そしてその復活のために、まずは城の兵士(強いものの象徴)となり、夢の中で仲間とともにムドーと戦い勝利する。このとき、夢の世界のムドーは実は、現実世界のムドーによって姿を変えられていた実の父親であるレイドック王です。まずは心の中で父親を乗り越えなければならない、というのがなんかフロイトっぽい。

そして現実でもムドー(挫折)に打ち勝つのですが、このときまだ主人公は「本当の自分」を取り戻していない。これはなんでなのかな? と思ったんですよ。

ハッサンは、ムドーとの対戦前に自分の体を取り戻します。要は意識と無意識が融合する→通過儀礼を乗り越えて個として成長を遂げる。だから、ハッサンの挫折あるいは心の傷はここで回収されることになったと読んでもいいはず。(父親との折り合いが悪く武闘家として生きていくと家出しているので、強さによって自分と自分の壁を乗り越えなければならない。融合すると強さの象徴として「とびひざげり」を覚えムドーに立ち向かう、と考えてもいい)けれど、主人公のそういったものは、ムドー前後では回収されない。

主人公にはもう一つキーワードがあってそれは「妹」だと思います。

夢の世界ではターニアという妹がおり、現実世界でも幼いうちに病気でなくなった妹がいた。途中、ゲバンに本物ならわかる問題として(メタ的には「ターニア」と答えさせる気まんまんの)かわいがっていた妹の名前が問われるシーンがあります。妹という存在は主人公にとって大きかったという説明になる演出に思えます。

多分、いまどきのゲームだったら、たっぷり実際の妹との関係を描いて、妹を失ったことは大きな傷だったのだ、という見せ方をすると思うのですが、妹が出てくる記憶はあっさりしています。しかし、あえて、どんな兄であったか。ということを妹が登場する1シーンから読み解いてみます。

城の台所で泥スープを作って兄に食べさせようと準備する妹。そのそばのテーブルに座り、黙って待っている。これは妹の行為をまるごと受け入れる兄、父母が忙しいため妹の相手をしている良き兄という説明であり、それを見たメイドも彼らの背景を知っているために咎めることなく「本当に仲が良い」とだけ言います。

現実の主人公は、現実のライフコッドで会ったときにわかるように、とてもひ弱な青年として描かれています。妹との1シーンを見るに、とても心優しい兄だったであろうという関連付けができる。

妹が亡くなり引きこもる母、行方不明の父、そんな中での王子という肩書の重圧。こういったストレスにつけこんだのが現実の世界のムドーだったのでは? と思います。(不完全ながら自分を取り戻し、城での祝の翌日母親と同じ寝室で起きる=これまで甘えられなかったので甘えられるようにと父親が配慮した。というのは、過剰だなと思いましたが日本的かもしれません)

さて、主人公の意識と無意識の融合。ライフコッドに夢側の主人公が現れると、現実側の主人公は融合を拒否して逃げ出します。理由は、自分の意識が残るのか夢側の意識が残るのかわからないから。融合して一つになりどちらの意識も持ったまま自分自身を取り戻すのではなく、別のなにかに飲まれてしまい自分自身は消えてしまうかもしれないという考えであると言えます。とにかく自信はない。

ところがすったもんだしている間に、現実のライフコッドは彼らの融合を阻止しようとするモンスターに襲われます。

夢側の主人公が村人たちを救った後、ターニアの家に赴くと、強すぎる的に手も足も出ない現実側の主人公がターニアを守りながら戦っている。もはや融合するしか勝つ術がなくなった彼は、「少しの間でも妹ができてよかった」ターニアに別れの挨拶をし、融合を遂げ、新たな呪文を覚えた後に、敵を撃破し村を守ることになる。

実際には他人でありながらも「妹を守る」という意志により、主人公は完全体になった。それにより過去の傷を乗り越えた。ムドーになすすべもなく負けたことよりも、大切な妹をもう二度と失わないということのほうが彼にとって大きな出来事だったのかもしれません。

ある意味、主人公の物語はここでおしまいです。なぜなら完全体だから。けれど、開きすぎた「扉」はちゃんと閉めなきゃいけない=真の平和のため、「未来」のために真の大魔王を打ち破る旅に出ることになる。

ターニア

現実のターニアは、天涯孤独。主人公をライフコッドのふもとで助けたとき、「こんなお兄ちゃんがいたらいいのにな」と思って一緒に暮らしている。たぶん、年の頃と偶然髪の色が同じだったことから、そう想起したのではないか? と思います。

ターニアの望みは、家族……血のつながった家族が欲しいということ。彼氏でも旦那でもなくね。

実際、現実のターニアは主人公が村から去ってしまうことではなく「兄として慕っていた存在(融合する前の現実の主人公)」がいなくなったことを嘆きます。その後の城での会話の選択肢によっては、再び兄妹の関係のように振る舞えることを喜ぶ。それくらいの強い願い。

この物語は、主人公が(現実世界で言えばターニアの)家で目を覚ますところから始まり、可愛らしい妹と二人で暮らしているという設定から始まります。この世界はターニアが望んでいる世界。だから、少なくともライフコッド周辺の夢の主導権はターニアの側にある。

ターニアが作っていた夢(心の世界)に分離した主人公が入ってきた。けれど、主人公はそこで平穏無事に暮らすことを運命として許されていない。全人類の心も肉体も支配しようとする大魔王を打倒することで、大きく開かれすぎた夢の世界の扉はしまり、見えなくなる。だから、主人公の目指す真の平和と「未来」は、開かれすぎた扉を適切に閉じ、それぞれが現実の世界に生きること、というお話なのでしょう。

バーバラ

存在感が謎ヒロインの筆頭ではないでしょうか。

「マダンテ」がなければ進めないイベントもない。カルベローナの「時の砂」に関してはバーバラの力が必要だけれど、そもそもこのカルベローナも話の本筋では、まほうのじゅうたんを手に入れるくらいの意味しかない。

ひどい話ですが、バーバラの設定がいなくてもこの物語は描けているはず。けれど存在するということは何らかの理由がある。けれどそれがわかりやすくは描かれていない。

可能性として一つ上げるのなら、バーバラはニューエイジ的なイメージの「地球の子ども」です。要するに、未来。エンディングでもバーバラは「まだ自分がわからない」と言っている。要するに成長途中、またはまだ中身がないわけです。通過儀礼を通しての個としての確立がまだ済んでいない。個として確立する前に、肉体のほうが滅んでしまった。だから現実世界で完全体のなることは叶わない。しかし、大きな力の継承者がゆえに、精神体だけが夢の世界の側に残ることになった。そんな彼女の行く先とはなんなのか。

エンディング中にミレーユの水晶玉に映ったバーバラはゼニス上で黄金の卵(SF版だとただの卵だけど)の孵化を見守っている。この「黄金の卵」というのも「未来の象徴」だと考える世界観があったりします。その卵からは「未来が生まれる」と言われて、THE END。(正直この「未来」というのがゼニス城ではところどころで聞かれますが、なんのこっちゃでポカーンではあります。なんというか、いかにもな「未来」という意味なのであれば、なんというか、こう、なんだかな? という感じ)

途中からの参加だけれど、バーバラは物語のすべてを見届け、シリーズ4,5という未来につなぐという役割ができた。という設定なのだとしたら、彼女を「ルイーダの酒場」に預けることができない主人公以外の唯一のキャラクターである理由に説明がつく。(月鏡の塔で出会うので、鏡がヒントになるはずなんだけど、鏡の象徴を知らないのでこれ以上はわからない)

未来未来言ってるけど、なんなのさ

この世界には、ルビスがいます。ただし、海の底にいて物語の根幹には関わってきません。しかし、このことからロトともつながりがある。城のそばにあるムドーの城も、ロトシリーズを想起させます。ラーの鏡、ダーマ神殿もまた然り。しかし、天空シリーズも想起させます。ゼニス城の内装は天空城そのものだし、伝説の装備もまた天空シリーズのようであります。

この「未来」というのが、この世界を救うことで現れた4,5世界の出現なのなら、この遠回しな言い方でも納得がいく。

ロトという古典と、天空という新たな未来へ。

ゲーム的に考えるのなら、プレイヤー個人へ向けての「未来」という言葉ではなく、こちらのほうがずっとすっきりするかな、と思います。